高P連川崎地区 発表 (平成16年10月12日) 台本 第4稿

    「イクヒ坂」拡幅運動の10年

〜 地域と協力して作る学校環境と 継続したPTA活動の大切さ 〜
神奈川県立生田東高等学校PTA

(Total 21m16s)

[0.自己紹介 0m28s]
 こんにちは、生田東高校PTA会長の梅田達也です。今日はご多望中の所を、お集り戴きまして、誠にありがとうございます。明るく楽しく元気良くをモットーに一生懸命発表したいと思いますので、どうか、宜しくお願い致します。
(28s)

[1.学校紹介 1m45s]
 さて、多摩丘陵の東の端にあります本校は、ここら辺でも評判のウグイスの名所で、「ホーホケキョ・ケキョケキョ ケキョケキョ ケキョ」という谷渡りの聲が、それはそれは心に染み入ってくる程、自然環境に恵まれた所です。
 生徒710名と教職員53名が、ここで日々を送っているので、自然と伸びやかに育っていく様です。ここ数年の卒業生の進学率は年々上がっており、この4年間の4年制大学への進学率は28%、34%、34%、そして2003年度には51%と半数を超えました。少子化により有利になっているとは言え、それを追いこす程の伸びを見せております。
(1m01s)
 部活動も、約6割の430名が参加をしており、成績はといいますと、23年ぶりに地方大会の3回戦に進みました野球部を始め、全国大会で優秀賞を取った新聞委員会、全国大会予選通過のチアリーダー部、昨年の駅伝で関東大会に出場しました陸上部や、地区大会を征したバスケットボール部、等など、後でお話しを致します通学路と同様に、まさに「のぼり坂の高校」として生徒や教職員も益々自覚を高めているところです。
(44s)

[2.PTA活動紹介 3m04s]
 そんな生徒達に負けじとPTAもがんばって活動をして来ております。あ、もちろんそれはここにお越しの皆様方も同じですよね?!
 本部活動をはじめ、文化活動、環境活動、広報活動、等など、どちらの学校もいろいろな工夫をなさっているとお聞きしております。
 本校でも、春はプランターの植え替え。御覧の様なかわいらしい花を環境部門のお母さん達が、植えて玄関を飾っております。初夏には文化部門の企画により、近所の名所旧跡を巡る「歴史散歩」。いつも梅雨時なのに何故か雨に降られた事がなく、参加した保護者の皆さんは「自宅の近所にこんなにいい所があったなんてねえ」と、とても喜ばれております。
(55s)
 本校のPTAには何と「夏休みの宿題」があります!!御覧のビーズ小物はその作品達です。秋の文化祭…「東陵祭」(とうりょうさい)と呼びますが、でPTAが販売する商品を制作するのです。併せて、バザーも行っており、昨年までの売上で、各種大会でのトロフィを入れるショーケースを寄贈する事が出来ました。が、また、この献品を集めるのも、一苦労です、学内だけでなく、主要2駅に立って集めても見ましたが、収穫は薄く、今年は全6箇所に場所を増やしました。が、それでも、暑い中半日待っても2〜3品と、場所を増やした分、献品も増えたのですが、その分集める側の愚痴も増えてしまった様です。それでも、9月19日20日の東陵祭の2日間で、十数万円程の売り上げを上げる事が出来ました。
(1m10s)
 秋には文化部門のもう一つのイベントの「バスツアー」や、環境部門の「落葉拾い会」が実施されます。昨年は、生憎の雨で校内での活動でしたが、お母さんが学校で作ってくれた豚汁は家で食べるよりも数段美味しく感じる様で、生徒達も大喜びでした。
 この環境部門には、もう一つ重要な名前があります。それは交通安全部門です。今年から環境・交通安全部門として、PTAが独自に出来る事を検討していく事になりましたが、まだ何が出来るのか分りません、参考になるお知恵が拝借できたらと思っております。
 最後は広報部門ですが、昨年まで年2誌発行しておりました、広報誌「生田東」を、今年は年3回発行しようと、皆で頑張っております。
(59s)

[3.導入 0m40s]
 さて、本校は、2年後の平成18年に創立30周年を迎えます。いわゆる「100校計画」により創立した高校の1つで、生徒数がピークに達した1989年には現在の2倍以上、生徒数1,680名のマンモス校でした。これからお話しするのは、その頃から懸案となっていた通学路の問題を、10年以上にも渡りPTAが引継ぎながら、解決に向けて歩んで来た経緯です。
(40s)

[4.立地 0m30s]
 本校は、小田急線の生田駅から徒歩で約10分、JR南部線の中野島駅からは徒歩で約20分という、自然環境に恵まれている割には珍しく鉄道の駅から近い位置にあります。これは川崎地区の高校の中でも、大変に恵まれている点ではなかろうかと思います。
(30s)

[5.通学の推移 2m11s]
 当初、通学の主要駅としては、南武線・中野島駅の利用が考えられていました。
 この円グラフは開校間も無い1979年の通学状況です。中野島駅利用者の24%に対して生田駅利用者は47%でした。当初の思惑とは裏腹に、当時より生田駅を利用して通学する生徒は、既に中野島駅を利用する生徒の2倍にも及んでいたのです。
(40s)
 その後の生徒数推移の棒グラフです。創立時は、川崎区、幸区、中原区、高津区の各区と多摩区からの通学者が大差なく均等に分布していましたが、 1980年代には多摩区・麻生区から通う生徒が倍増しました。学区が改編された90年代に入ると、川崎区、幸区、中原区の各区からの通学者はいなくなってしまいます。
(38s)
 中野島駅利用者は年を追う毎に減り、生徒数がピークになる1988年には、御覧の円グラフの様に、76%の生徒が生田駅を利用、中野島駅の利用は限り無く0に近い数字になってしまいました。
 現在の通学状況のグラフです。1/4の生徒は自転車で通学をしています。生徒たちの交通手段は、電車、バス、自転車と多様化しましたが、大半の生徒たちが生田駅を利用しています。
 これは、川崎市の人口増加と共に、新設校が開校したため、生徒の流れも大きく変化した為だろうと思います。
(53s)

[6.生田駅からの通学路 2m15s]
 この様な生徒の推移に伴って、当然、駅の利用状況も変わり、先程、お話しましたように、生田駅からは約10分、中野島駅からは約20分と、どちらからでも徒歩で通える便利な立地の本校ですが、現在、生徒のほとんどが生田駅を利用する様になりました。
 そこで気になってくるのが生田駅からの通学路です。入学式の日、子供と一緒に学校へ行くと、実感するのですが、また、PTA活動で、学校に通っているとよく耳にしますが、「あの坂だけは2度と登りたくない…」
 この中にはご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、生田駅前を通る世田谷通りから本校に向かう「市道-生田65号線」、通称水道道(すいどうみち)というそうです。生徒達からは「イクヒ坂」と呼ばれています。
(1m03s)
 この通学路は、急な坂道で、道幅が4m半程しかなく、おまけに、曲がりくねっておりまして、見通しの非常に悪い。交通事故の危険性が非常に高い道なのです。
 それでも、他に迂回路もない為、生田駅より本校に通うにはここを通らざるを得ず、生徒数が1600人を超えていた80年代の後半には、そこを登る1000人もの生徒に、近隣の住人達は非常な脅威さえ感じたと言います。曲がりくねった細い急坂を1000人もの高校生が登る様子は、確かに小学生でなくともさぞや恐かったことでしょう。
 また、こんなエピソードも語り種になってます。この「イクヒ坂」は、片側が竹薮で、ある冬、大雪が降り、雪の重みで倒れた竹がこの道を塞ぎ、通行止めとなってしまった。その為、やむを得ず本校が休校となったそうです。
(1m12s)

[7.通学路拡張推進委員会の発足 1m40s]
 もちろんそんな事は滅多にはない事ですが、狭い、危ない道を毎日通学させるのは、それ以上に心配な事はないというのが親心です。
 平成4年(1992年ですが)には、PTA総会で通学路拡張の要望意見が出されました。
 それを受けて翌年、平成5年(1993年)に、校長先生とPTA会長が中心となって道路拡張推進の請願運動が開始され、平成7年(1995年)に、とうとう当時のPTA会長が「運動の柱が次から次に変わっていては容易ではない」と、自ら立ち上がり、PTA活動の一環として通学路拡張推進委員会を設立したのです。
(1m00s)
 この委員会は翌年の平成8年(1996年)にPTAに特別委員会として承認され、「道路拡張委員会」という名称で、校長・教頭・PTA会長・副会長2名及びPTAの前会長で構成される事となりました。
 以来、現在に至るまで10年にも及ぶ活動の中心となっております。この先も、いつまで続くか判らない通学路拡張運動の柱として、なくてはならない存在なのです。
(40s)

[8.地域の中の生田東高校 2m06s]
 平成7年(1995年)通学路拡張推進委員会の設立と共に、早速、署名運動が開始されました。PTA会員はもとより、近隣の地域住民、生田小学校、生田中学校、山口自治会、五反田自治会、生田中央商店街の各地元団体に、通学路拡張の趣意について説明をし、快くご協力を頂く事が出来ました。その成果として、合計4,600名にものぼる署名を戴いたのです。
 これを持って多摩土木事務所に陳情書を提出。その甲斐があって、翌、平成8年(1996年)4月には多摩土木事務所により現況測量が開始されて、道路線形計画が完成し、平成9年(1997年)には丈量測量と、進んで行きました。
(1m10s)
 この年には本校が川崎市の大規模災害時の広域応援活動拠点に指定されました。この事もこの運動を推進する大きな力となった事でしょう。しかし、それ以上に、道路拡張用地の地主さんをはじめ、地域の人々の協力がなければ、この運動は全く進められないのです。
 実際に、地域の方々は「高校のあるこの地域をもっと良くしてあげたいから」「高校にもっと利便性をもたせてあげたいから」と全面的に協力をしてくださっております。大変に有り難い事と感謝をしております。
 PTAが核となって行う運動の輪が地域に広がっていくという姿は、とてもすばらしいなと感じております。
(56s)

[9.実現に向けて 1m50s]
 その後も川崎市長あての要望書は毎年提出をし続けられましたが、なかなか話しは進展をせず、徒に時間ばかりが流れて行きました。
 学校や地域関係者、自治会などに説明し、協議を続け、また、署名もPTAが中心となって今迄に累計で1万人近くを集めました。平成13年には生徒の8割もが生田駅を利用していることが判明し、再度、川崎市長あてに陳情書を提出しました。
(43s)
 翌、平成14年(2002年)、見るに見かねた川崎市建設局長から、計画の一部変更の提案がありました。計画では歩道付の8.5mの幅員の道路をと、署名運動と市への陳情を繰り返てきましたが、川崎市の土木予算も年々縮小されており、このままでは永久に予算をつけてもらえそうにありません。そこで歩道は断念し、道幅を6.5mに変更してでも早期に実現をさせた方が良いのではないか、という提案でした。委員会はそれを了承し、早期実現に向けた陳情書を川崎市長に提出しました。
 とうとう、平成15年(2003年)川崎市予算に用地買収予算の一部が計上されました。
(1m07s)

[10.運動は続く 1m40s]
 平成4年のPTA総会での通学路拡張の要望意見の続出以来、苦節10年にして、やっと、運動の成果が見えて来ました。時代はすでに21世紀となっています。
 歴代学校長、PTA会長、PTA会員の協力のもと、この運動を粛々と続けてこられたのは、一地域住民であり、この活動の中心的存在である、元PTA会長の存在が大きいでしょう。しかし運動は一人ではできません。その時々のスタッフ、学校長であり、PTA会長、役員、PTA全部が関わって、発足した当時の意味と情熱を失う事なく、粘り強く進めて来ました。駅伝の様に、次々と襷を渡していって、ゴールを目指してここまでやって来たのです。
(1m05s)
 そして常に忘れてならないのは地域であり、地主さん、近隣の方々、商店街、自治会も含めて、皆さんが協力してくれたからこそです。私達はこの運動を続けていく中で、学校とは地域に根ざした存在であり、地域の人々なくしては、学校環境は成り立たない事。また、継続したPTA活動の大切さを学びました。
(35s)

[11.通学路の現状 1m46s]
 この狭くて急な「イクヒ坂」を生徒たちはどんな状況で通学しているのか、朝の時間帯に立ってみました。想像どおり、3人、4人の横並びも多く、おしゃべりしながら歩いています。決してモラルがいいとはいえませんが、通る車にも問題はあります。
 朝7時から9時までの時間帯は一方通行の「イクヒ坂」であるにもかかわらず、上から降りてくる車が後を絶ちません。10分程の間に6台もの車が坂を降りてきました。文句を言いたいのは山々ですが、原因を考えてみれば、坂の途中で2股に分かれるこのイクヒ坂は、地域住民の生活道路となっているので、そこまで厳しく規制をする訳にも行きません。
(1m02s)
 坂の上に2ヶ所ある標識も、木が繁って見えない所もあります。また、坂を降りるもう一本手前の所に標識があれば、もしかしたら、進入してくる車をもう少し防ぐことが出来るかもしれません。
 今回、この発表をする為に拡幅運動についてあれこれと細かく調べているうちに、改めて、生徒にとっての安全対策を考えていく必要もあることがわかりました。生徒たちの登下校時のモラルの問題は当然ながら、道路の拡幅による交通量増加への対処、道路標識のあり方などです。
(44s)

[12.むすび 1m14s]
 今迄、生田東高校の校門の中にしか向けていなかった視線を、少しだけ外に広げて見ると、学校がより鮮明に見えて来るのではないかと、思った次第です。
 私は今、大先輩の優秀なランナー達が受け継いで走って来たその襷を、望みもせずに受けてしまい、ゴールを目指して走らされています。まるで、自分の武勇談のごとくここで喋らせてもらった自分が、実に僭越に思えてなりませんが…
 走る度にゴールが遠のく感じで、僕はちょっとへこたれそうですが、これからも次のランナーに襷をしっかりと手渡すべく、走らねばと思います。いつかきっと、綺麗になったイクヒ坂で子供達が元気に登校して行く姿を見る為に。
御静聴をどうもありがとうございました。
(1m14s)



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